私が本日まで築いてきたキャリアを紹介します。

私のキャリアは、大きく2つのキャリアがあります。
1つ目は、「システム開発のプロジェクトマネジメント」です。
2つ目は、「事業や業務の改善、システム導入などのコンサルティング」です。

経験した具体的案件は、LinkedInを参照ください。

スタートはリビルド自動車パーツの営業

学生生活が終わり最初は、いわゆる契約社員で働いていたので、正直焦りがありました。そのため、早く就職したかった気持ちが強かった毎日でしたね。
でも、なんの取り柄・スキルもありません。新卒扱いでもありませんでした。
その上、世の中は、バブル後の「就職氷河期」と呼ばれた時期の真っ只中だったんですね。
当時は、名前も知らない零細企業でさえ、求人広告に問合せたら軽くあしらわれて、まともに回答もしてくれないことが多々ありましたね。

そんな中、興味があるだけでなんとか入れたリビルドパーツ販売の企業に入ることができました。
そこは、対面ではなくて基本電話での対応で販売する業務だったのですが、なぜか電話が全然聞き取れない。
今思うと、そういうのが根本的に苦手だったんでしょうね。未経験だったということもありますけど。
上司の名前すらまともに聞き取れない状態でしたから。笑

さらに業務環境が良くなく、サーバーのためにつけていたエアコンの風が直撃する席から変えてもらえず、真夏で制服の下にも着込むというスゴイ格好で仕事してましたね。もちろん、そんな環境で長く続くわけもなく、あっさりと見切りをつけたのはいうまでもありません。

ただの意地でなった公務員(郵便局)

親の意向に素直に聞いてしまい学校での勉強をそこそこに当時の郵政省の契約社員として働いていたこともあって、知り合いができていたこともあり採用試験くらいは受かっておきたいという妙な「意地」があったので、採用試験の勉強をすることにしました。
一番簡単な採用試験とはいえ、採用倍率20倍くらいあったので、試験対策せずに合格するのは無理でしたね。
(親は、とりあえず受けろ。とか世間知らずもいいところのお花畑な頭をしていました。)

一応、1年くらい引きこもって缶詰して、なんとか採用試験に合格しました。
契約社員の時にどんな仕事か知っていましたし、直感的にリテールセールスは自分に合わないことは分かっていたので、合格通知のを見ても何も嬉しくなかったのを覚えています。

リテールセールスは無理

正社員になったものの案の上、モチベーションが湧くわけもなく、ちょっと変わったメンバーにも恵まれ、ますますやる気はないわけです。
1年くらいですかね、身内を跪かせて後ろから後頭部を蹴る夢を見て、目が覚めたら家の壁を蹴っていた事がありましたね。
あぁ、自分、病んでるな。
って、思いましたよ。そういう出来事もあり、長くはないと思ったのはいうまでもありません。

本社という魔窟

でも、転職するといっても世の中は、「超・就職氷河期時代」しかも、身分は公務員ということもあり、転職なんてできるわけがありません。
今もそうかもしれませんが、公務員が転職するってよほど明確な理由がないと「使えない」やつのレッテルが貼られます。
困っていたところ、本社への転用試験(公募)の話があり、とりあえずかじったことのある情報関連の職種に応募することにしました。
もともと、大きな組織でしたので、本社側の仕事は気になっていましたし、昇進するなら、本社へ行くのが一番だと思っていたからです。

現場にいても管理者になれるのは一部でしたし、何よりプレイングマネージャーだったのが無理でしたね。

なんとか、無事本社のシステム企画部(いわゆる情報システム部門)に異動することに成功しました。
が、苦難の始まりでした。
今まで「考える仕事(企画)」なんてことは、一切してこなかったわけですよ。
ビジネス文書もろくにかけません。
人生2度目の病む経験をしたのは、いうまでもありません。

なんとか、休職はせずに、情報システム部門のメンバーとして仕事がこなせるようになりました。
この時に踏ん張ったおかげでまともなキャリアが築けることになろうとは、当時思いもしませんでした。

民営化で単なる生命保険の情報システム部

ご存知のとおり、郵政事業は、民営化により、日本郵政公社から各事業がそれぞれの会社に分かれました。
そこまでは、よかったんですけど生命保険事業のシステムは、小会社へ出向。。。

立場の違い

小会社になって変わったことは、事業所へ行って態度が露骨に変わったのが分かりました。
本社の人から、外部の業者の人になって、露骨に適当にあしらわれるんですよ。挨拶もまともにしてくれない。
改善したくても何もできないと思いましたね。
この辺りから、昇進に期待はしなくなりました。ちなみに、役職と給与体系は明確に紐付いているので、昇進できないと給与は一生そのままです。
いつか、出向元に戻れるかと思っていましたが数年無理でしたね。
このころから、中小企業診断士の勉強をしていた私には、時間がなく仕事にかける時間がすごく無駄なように感じられていたので、勉強していたことを活かせる環境に移ることを決めました。

品質マネジメント(コンサルタント)はテスト

幸い転職をしても給与水準は、ほぼ変わらず転職することができたのは幸いだったのですが、仕事内容が面接時と違うという状態になり、期待されていたはずの知見を活かした仕事は全くやらせてもらえず、ただのエンジニア?をすることになりました。
これも、後から聞いた話ですが、「会社の事業を考えたら当然」のタスクなので、完全に企業分析が甘かったとしか言いようがありません。

ヘッドハンティング

テスト関連の案件をやっていた時に、契約先の人に目をかけてもらいその人の会社に誘われることになります。
かっこよく言えば、ヘッドハンティングです。

給与も今より出していただけたのと仕事内容が元々、目指していたコンサルティングをする案件もあるというのを決め手に転職に踏切ます。

やっぱりシステム開発

最初は、色々良かったのですがとある案件で、椅子で寝食をして、数時間の仮眠だけという生活が3か月くらい続いて、ついにギブアップ。
この頃に自分がどうも特定の作業に不得意なことにも違和感があって、詳しく調べると先天性の特性が明らかになった時期でした。

病んでフリーランス

今度ばかりは、心身ともに疲れて休職しましたね。
労務管理はザル。給与明細もLINEで送る。とかブラックとしか言いようがないところだったので、辞めて正解だったのですが世の中には、こういう人もいるんだということを知るいい機会でした。

なんとか中小企業診断士の資格を取得したのもこの頃で、それが支えになったのが唯一の救いです。
何か自分が頼れるものを創るのは、大事だと思いました。
休職したものの、次の仕事の目処は立たず、フリーランスになろうかと安易な考えを持ったのもこの頃でした。
もちろん、失敗して散財したのはいうまでもありません。

案件取れないのはコンサルが悪い

休職というハンデを抱えつつも、半年くらいで次の就職先を見つけることができました。
今度は、コンサルティング会社なので大丈夫と思い始めたものの、二次受け?って何だ。指示されることをやってるだけじゃん。
という、多重構造に気づいたのがこの頃です。

しかも、営業とコンサルは、別体型だったので、営業が基本案件を取ってくるのですが、経験にない案件を取ってくる(というかそういう案件しかとれない)ので、もちろん受託できるわけもなく、
その結果、コンサルのスキルがないから。受託できない。
という話になり、筋を通してこの会社も終了。(後から聞いた話によるとこの会社も色々評判は悪かったです。)

コンサルというSES

あるエージェントの方のご紹介で、コンサルティングの経験を活かした会社に所属することになり、現在もこちらでキャリアを積んでいます。
幸い、大手企業のSAP導入のPMOや新規部署の立ち上げのユーザ支援などやっと、コンサルティング的な要素のある仕事に携わることができています。

将来の不安

でも、所詮は、プライム案件は少なく大手のアンダーに入る案件がほとんど。
最近感じているのは、これ以上の単価を目指すのは、難しいことと同じ単価を10年後も維持できるか。ということ。
同じスキルなら、若い方が選ばれるのは当然ですし、さらなる経験を詰むにしても、要職は、プライムから回ってくるわけがありません。

何もせずに、このままではジリ貧になる可能性も感じる今日この頃です。

常に進化する

コロナウィルスの影響もあって、一つのことに頼るのは危険なことが分かりました。
今後考えているのは、所属会社1社に依存は危険なので、自分でもできることをしておく必要があるということ。
所詮、会社員は、会社の名刺で仕事ができているにすぎません。
何か困っても、会社は助けてはくれません。

常に現状に満足せずにより良い環境は、探すことは必須だと思います。